namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

科学と宗教

おそらく至る所で語りつくされているであろう問題に言及してみる.

動機はもちろん,家に勧誘が来たからだ.今日だけで2つも.

 

私は科学を信頼している.そして私は宗教が大嫌いだ.

こんなことを言うと宗教家に目の敵にされる.

科学を信仰するのも宗教だとか,科学は人の心を幸福にできないとか,原発事故によって科学は否定されたとか,よく分からないことを言われる.

 

私が理解できないのは当然である.

科学と宗教は本質的に違うものであり,比較することができないからだ.

にもかかわらず,何かと両者は対比されることが多いように思う.

そこで改めて,科学と宗教の本質的な違いを3つ述べる.

 

1. 流動性

宗教にとって,神や預言者や,創始者は絶対的な存在である.

彼らの言ったことは不変の真理であり,変えてはならない.

一方科学では,新たな発見をするたびにページが増えてゆく.

教えに矛盾することが起きた場合,宗教はそれでも教義を変えてはならない(ころころ教義を変えるヘタレ宗教ごときはここでは無視する).

逆に科学には,矛盾がなくなるように変化し適応する義務がある.

 

2. 再現性

民が渇いたとき,神はモーセに命じ,岩を叩いて水を噴き出させ,彼らを救った.

今も世界のあちこちで渇いて死ぬ人は大勢いるのに,同じように水を出せる人は現れない.

蛇口はひねれば水が出る.聖人でも悪人でもサルでも私でも,ひねれば水が出る.

 

どんな心の清らかな人でも,恐ろしい病にかかることがある.

多くの悪事を働き,人の恨みを買おうとも,至って健康な人もいる.

しかし,凶悪なウイルスを注射すれば誰でも病気になる.

 

3. 統一性

宗教は色々ある.キリスト教イスラム教,仏教に始まり,数えればきりがない.

各々独自に神や教義を持っており,根本から相異なっている.

それだけでなく,同じ神や経典を信じながら,宗派が分かれているものも多い.

科学は基本的に統一されている.テーマによっては意見の分かれているものもあるが,大部分は共有されている.

 

もちろん宗教も,理想としているのは統一だ.そのためにはどうするか.

地道な勧誘で信者を増やすこともしてきた.

だが無宗教の相手ならばともかく,他の宗教に属する人間を鞍替えさせるのは容易ではない.

感化は不可能だと判断し,それでもなお統一を目指すとき,武力によって相手を消し去るという手段が取られる.

これまで幾度もの戦争が引き起こされてきたし,まさに今も起きている.

 

科学において理論が対立した場合はどうするか.

やはり統一させようとするが,その手段は,意見を戦わせることだ.

同じく戦いではあるが,生命に危害は一切およばない.

 

何より素晴らしいのは,議論するためにそれぞれの派閥の人間が,それも往々にして代表格や重鎮が,交流することだ.

手紙やメールにとどまらず,学会などで一同に会することもある.

国境や人種に縛られず,対等な立場で,握手の距離で会話するのだ.

対立が殺し合いを生む宗教と,対立が交流を生む科学.

科学を好み,宗教を嫌う理由はこれだけで充分だろう.

創世記とごんぎつね

何となく思い出して,小学校の教科書に出てきた「ごんぎつね」を改めて読んだ.

そして,残酷だなあと思いました,まる.

 

話の流れは以下のような具合である.

 

狐のごんはいたずら好きで,人間の兵十が捕った魚を逃がした.

その魚は兵十が死にゆく母親に食べさせたいために捕ったものだと察したごんは,償いとして栗を兵十の家にこっそり置くようになった.

あるとき兵十は家に入るごんを見て,いたずらに来たと思い銃で撃った.

栗をくれたのがごんであることに気付いた兵十だったが,既に手遅れであった.

 

小学生的感想は,ごんがかわいそうとか,いや自業自得だとか,とにもかくにも銃で撃つのはいけないとか,そんな感じになるのだろうか.

 

この悲劇の原因は,ごんと兵十が理解し合っていなかったことだ.

しかし人間と動物では,心を伝えあう手段がないため,どうしようもない.

 

と言いたいところだが,そう単純なものではない.

人間は当然,狐であるごんの言葉を聞くことができないし,心もほぼ読み取れない.

しかしながら,ごんは現実に比べて高い知能を持っている.

ごんは人間の感情を理解するだけでなく,人語を解し,人間の習慣にも通じている.

この物語中において,ごんは人間の全てを理解できていると言っていい.

(もっとも,このような人間と動物の関係はごんぎつねに限ったことではなく,多くの物語で見られる.)

 

もしごんが,現実同様に人間を理解できないならば,いたずらで魚を逃がしても,償いをするという発想に至らず,このような展開にはならなかった.

もしくは,ごんが人語で会話できたならば(その場合,人間はもはやただの野蛮な下等生物となるのだが),自力で誤解を解くことができただろう.

 

この物語は,ごんに不必要な知能を加え,半端に進化させたことによって生まれた,作られた悲劇だ.

ただストーリーのみに頼るのではなく,悲劇の辻褄が合うように生物を改造するというのは,実に残酷だ.

 

どうもこれは,キリスト教の創世記に似ている.

いくらそそのかされようと動じない純粋な性格の人間を創造しておけば良いものを,中途半端に甘い性格で生み出されている.

さらにはそそのかし役のヘビまで周到に用意してイブに知識の実を食べさせ,恥や善悪の知能を与えた.

それを理由に人間はエデンを追放されている.

 

イブは,無理やり知識を与えられ,人間の業を全て背負わされたが,ごんもまた,不相応に高い知能を加えられたことで,悲劇の主人公に仕立て上げられた.

ごんと我々は同じ存在なのかもしれない.

 

・・・また意味の分からない結論になってしまった.

風が吹けば桶屋が儲かる

このことわざといえば

風が吹けば砂埃が目に入って大勢失明する→いろいろ→桶が破損する→桶屋が儲かる

という論理になっていて,因果がめぐりめぐって,まるで関係ないようなことに影響する,という内容になっているが

風で失明する確率よりも,風が桶を吹っ飛ばして直接破壊する可能性の方がまだ高い気がする.

みがわり

いじめ「人死んだら対応」 校長、被害生徒保護者に発言 大阪 (産経新聞) - Yahoo!ニュース

 

この校長の真意は知らないが,私はこういう考え方が好きだ.

 

生徒を指導するのは担任の仕事.教師を指導するのが校長の仕事.

生徒の日常を知らない,知りえない立場の校長が,いじめ問題に介入して担任より優れた対応ができるはずがない.

担任の怠慢でいじめが横行している,などであれば校長の出番だが,そうでもない限りは介入しないほうが良いし,そういう役目でもない.

 

問題が起こればトップが責任を取るという考え方もあるが,それは責任がある場合だ.

いじめはたとえ学校で起きていようとも,本質的には学校の責任ではない.

加害者の,そして加害者を躾けるべき親の責任だ.

せいぜい担任に監督責任があるくらいで,学校が責任を負う必要はない.

 

では「人が死んだら対応する」必要はないのか,というとそうではない.

(記事内で見る限り,正確には「人が死んだり,大きなけがをしたりしたとき」と言っている.悪質な印象操作だ)

このような場合は,校長に責任がなくとも率先して対応し,全責任を負ってもらいたい.

なぜなら,責任がないからだ.

 

生徒がいじめで死ぬのは多くの場合自殺だろうが,見抜いて防ぐなんて簡単にできることではない

実際,親でさえ無理だったから死んだのだ.

それを赤の他人である教師に防げというのは無茶でしかない.

とはいえ,生徒が死んだら担任は怒涛のように非難を浴びせられるだろう.

 

校長は前述の通り,生徒と直接触れ合っていない.

死んだ生徒を長い間近くで指導してきた担任は,大きなショックを受けるだろうが,

校長にとっては,所詮はよく知らない他人である.

感情移入する材料が少ないため,死んだところで担任に比べればまだ平気だ.

その上自分に責任はないため,批判されてもそこまで堪えない.

だから,責任を取ると称して身代わりになって欲しい.

生徒に死なれて傷心な上,必要以上の批判にさらされる苦境にある教員を庇って欲しい.

理想論だが,そうやって教員や学校を守るのが,校長の務めであるべきだ.

 

戦争で圧勝した側にも戦死者はいるのに,国民は勝利を喜ぶばかりで誰も泣いてはくれない

人権活動家の少女が撃たれただけで,英雄として祀り上げてノーベル賞とかを与えるし

フランスでたった17人死んだだけで,世界中の首脳が集まってデモをするくせに

ボコハラムやタリバンが何百人殺しても,せいぜい非難声明を出して終わり.

 

テロに屈しないと叫ぶのはいいが,それで一番割を喰うのは過激派に支配されている地域の人々だ.

なのに彼らの犠牲には大して関心を持たないのは,理念がどこか間違っているとしか思えない.

孫策 妻

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なんだこれ.

 

大橋どこいったとか,せめて周瑜にしろとか,そういう話じゃなくてなんだこれ.

以前の記事 関羽 年齢 - namuiru's diary

では,年齢の嘘情報が出てくることを発見したが,今度の間違いは色々とまずい.

 

こうなった原因は推測できる.

実は,「陸遜 妻」で検索して孫策が出てくるのを見つけたのが先だ.

陸遜の妻は孫策の娘である.その情報を自動で取得する際に「の娘」を正しく認識できず,抜け落ちてしまったのだろう.

結果として孫策陸遜の配偶者だという情報になり,逆から見て陸遜孫策の妻,という答えを出した,そう考えれば一応筋は通る.