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namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

古人贔屓

コーエー三国志は能力が100段階で評価されている。

その評価には人によって賛否があるのは当然で、諸葛亮の知力は90くらいが妥当だとか、劉備の魅力は低くあるべきとか、色々な意見を見る。

ところで最近のコーエーでは古武将というのが存在する。

そして、彼らの評価は実に高い。

韓信は統率、項籍は武力、張良は知力、蕭何は政治、劉邦は魅力がそれぞれ100。

この評価に対する否定的な意見は、劉邦以外にほぼ見たことが無い。

歴史にifは禁物だが、劉邦も粛清をしていなければ文句を100言う人は居なかっただろう。

確かに彼らはそれぞれの分野で活躍したが、この“100”の評価の基準となっているのは5年かそこらの漢楚戦争だけである。(項籍や劉邦の評価には秦打倒戦も含まれているだろうが、それでも8年程度)

この短い期間での活躍のみで、“古人”という崇拝のもと最大級の評価がされている。

それがなんとなく気に入らない。

正直項籍と韓信の異常な活躍には舌を巻くばかりで、異論の唱えようがない気もするのだが・・・

コーエーでの三国志11における三国武将の評価は、100の値が呂布諸葛亮にしか与えられていない。

しかし呂布はというと、歴史の評価としては関張に最強の武人という地位を奪われている(間違っていたらすみません)。諸葛亮は言っては悪いが演義の影響でしかない(よく誤解されますが、ゲームは演義ベースなので100は妥当な評価ですよ)。

つまり、“歴史の偉人”として100と評価された人物が存在しない。(実は99さえも劉備の魅力のみ。その他の最高値は98)

 

三国志の時代、黄巾の乱から諸葛亮が死ぬまででも50年ある。なのに5年の内にぽっと出てきた連中に全く敵わない、と。

そんなことはないはず。

原因はやはり、期間・領土・戦線がそれぞれ拡大したため、表に出る人物が増加したことだと思う。

漢楚の決戦は大局的な構図はそれほどかわらず、時期も短かったことから、元帥は韓信一人に固定しても問題がなかった。軍も劉邦韓信の2つに分ければ事足りた。

しかし三国志時代はそうはいかない。曹操は中軍として、西に夏侯淵、南に曹仁、東に張遼といったように分散配置をせざるを得なかった(北って誰だ・・・曹彰?田豫?)。

そして彼らも戦死や病死で入れ替わる。

領土の統治にしても、蕭何は漢中・関中だけを宰領していれば良く、他の土地はそれぞれの王に任せれば良かった。

軍そのものも王が担当するため、有能な直臣、というポジションのキャラクタは増加し辛かった。

三国志の時代では全く異なるのは言わずもがな。

そういうわけで絶対数・比較対象が少ない漢では、勝利者という箔も付いたことにより絶対視・神格化が急速に進行した。

超人的能力を持った“古人”のできあがり。

 

もちろん別の時代の人間を比較するなんて無理だし無意味なことはわかっている。

そもそも人間の能力を数値化すること自体ナンセンスなのはわかっている。

が、古人に対する贔屓がすぎるんじゃないだろうか。