namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

しない善よりする偽善

ネットでこんなブログ記事を見つけた

http://blog.wakan3.jp/blog/2012/03/%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%96%84%E3%82%88%E3%82%8A%E3%82%84%E3%82%8B%E5%81%BD%E5%96%84%E3%81%AF%E8%A9%AD%E5%BC%81.html#

しない善よりする偽善,という言葉は詭弁だ.善行は善行として評価されるべきであり,この言葉は真の偽善者が工作によって広めたものだ・・・ということらしい.

「しない」「する」の前に省略されている言葉を補えば,この言葉の詭弁が浮き彫りになるという.

使われている例をそのまま引用させて頂く.

ホワイトバンド
募金詐欺」をやらない善より「募金詐欺」をやる偽善
手話歌
聴覚障害者をのけものにする手話歌」をやらない善より
聴覚障害者をのけものにする手話歌」をやる偽善

 

手話歌が聴覚障害者をのけものにするのかどうか私は知らないが,募金詐欺の例はわかりやすい.

正直言うと,ちょっと引っかかりはしたが,最初はこの意見に騙された.私もまたこの言葉は嫌いだと思っていたから.

しかし,この記事の末尾で,自分の意見と異なる意見を提示した人を,「回答を誘導しようとする工作員」だと決めつけているのを見て,この筆者の思考はイカれていると気づいた(私も十二分にイカれているので,批判等あればコメントなりなんなりして下さい).そして読み返してみると,詭弁じゃないかと.

 

冒頭にも似たことを書いたが,彼の意見は

「本当は、人のために良いことをしていれば、それは「善行」なのだ」

というものだった.

つまりしない善よりする偽善という言葉の前提として,そこで行われている行動はあくまで「善」でなければならない.

募金詐欺は紛れも無い悪なのであるから,これをこの言葉に当てはめることはできない.

 

直接向こうのブログにコメントしろよ,こんなとこでコソコソ批判しやがって,と思われるかもしれないが,かの記事は1年以上前のもので,ブログ自体が10カ月の間更新されていないこと,コメントが承認制であること,そして前述の通り筆者の思考に危険な香りがすることから,やめた.

それにどうせここで批判したって誰も読んでない.悲しいが仕方ない.

 

しない善よりする偽善という言葉が適切な状況例を,ありきたりなものだが,思考整理のために記して終わりとしよう.

災害があって募金が呼びかけられている(募金詐欺ではなく).

貧しいAさんは,助けてあげたいと考えているが,どうしても募金する余力がない.

悪徳成金のBさんは,他人なんてどうでもいいと考えているが,世間の批判にさらされたので,仕方なく相応の大金を出した.

被災者にとっては,自分達を心配してくれるAさんではなく,自分達を見下すBさんの行為が直接的な利益になる.

Bさんの心に善はないが,行為は善行そのものだ.

心が伴わない善行のことを「偽善」と呼んでいるのだろう.