生んでくれて,育ててくれて,ありがとう
私は親になったことも子供を育てたこともないので,無責任な意見ではあるが
「生んでくれてありがとう」とはどうしても思えない.
私はどちらかと言えば生まれたくはなかった.
死にたいということではない.
「生んでくれなんて頼んでない」という意見には賛成できる.
生まれることに対して,本人の意志は存在しない.し得ない.
「あんたなんか生みたかったわけじゃない」という親の意見もよく見るが
生むからには,そういうリスクを承知しておかなければならない.
この話題が議論されるとき,「育ててくれてありがとう」についてがしばしば無視されているように思える.
生まれたからには育ててもらわないと生きていけないし,人間の本能として生きることを望むので,恩の押し売りという考え方もできる.
しかし私の場合は,結果的に平均以上の幸福な環境を与えられ(実際に幸福であるかどうかは別として),十分に慈しみ育てられた.
今を生きる人間という立場からして,私は親に感謝している.
人によっては,育てられた環境が恵まれていないこともあるだろう.
だが「あんたに育てて欲しくなかった」とは言い辛い.
育ててくれるのは,基本的にはこの世に親しかいない.
育児放棄をされて,餓死させられることなど,(多分)誰も望んでいない.
だからせめて「生まれたくなかった」くらい言わせてあげたい.
繰り返しになるが,生まれたことに本人の意志は存在しない.
人間には特別に知性が与えられているせいで,生まれたことを苦に思う可能性がある.
その代わり,その知性によって生きる権利を放棄する道を選べる.
死ぬことにも本人の意志は存在しない.
やはりその知性によって,死ぬことを恐れてしまう.
しかしいくら知性があっても,死ぬ権利を放棄できない.
これはあまりにも不公平ではないだろうか.
私が生まれたくなかった理由はここにある.
要するに,死ぬのが怖いのだ.
生まれなければ,知性なんぞに弄ばれ,苦しむことがなかったのに.