namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

生んでくれて,育ててくれて,ありがとう

私は親になったことも子供を育てたこともないので,無責任な意見ではあるが

「生んでくれてありがとう」とはどうしても思えない.

私はどちらかと言えば生まれたくはなかった.

死にたいということではない.

 

「生んでくれなんて頼んでない」という意見には賛成できる.

生まれることに対して,本人の意志は存在しない.し得ない.

「あんたなんか生みたかったわけじゃない」という親の意見もよく見るが

生むからには,そういうリスクを承知しておかなければならない.

 

この話題が議論されるとき,「育ててくれてありがとう」についてがしばしば無視されているように思える.

生まれたからには育ててもらわないと生きていけないし,人間の本能として生きることを望むので,恩の押し売りという考え方もできる.

しかし私の場合は,結果的に平均以上の幸福な環境を与えられ(実際に幸福であるかどうかは別として),十分に慈しみ育てられた.

今を生きる人間という立場からして,私は親に感謝している.

 

人によっては,育てられた環境が恵まれていないこともあるだろう.

だが「あんたに育てて欲しくなかった」とは言い辛い.

育ててくれるのは,基本的にはこの世に親しかいない.

育児放棄をされて,餓死させられることなど,(多分)誰も望んでいない.

だからせめて「生まれたくなかった」くらい言わせてあげたい.

 

 

繰り返しになるが,生まれたことに本人の意志は存在しない.

人間には特別に知性が与えられているせいで,生まれたことを苦に思う可能性がある.

その代わり,その知性によって生きる権利を放棄する道を選べる.

死ぬことにも本人の意志は存在しない.

やはりその知性によって,死ぬことを恐れてしまう.

しかしいくら知性があっても,死ぬ権利を放棄できない.

これはあまりにも不公平ではないだろうか.

 

私が生まれたくなかった理由はここにある.

要するに,死ぬのが怖いのだ.

生まれなければ,知性なんぞに弄ばれ,苦しむことがなかったのに.