土壌
24時間テレビは、私にとっては、面白くない。
障害者を見世物にしたり、マラソンさせたりして、何がしたいのかわからない。
私は、テレビ番組としての24時間テレビは、大嫌いだ。
しかし、何はともあれ募金をしているのは確かであり、立派な善行だ。
出演者にギャラを払おうが、そのチャリティー性を否定するのは間違いだ。
文句を言うだけで何もしない人間と、偽善コンテンツで募金を集めて貢献する番組。
どちらが本当に優れているかは明白だ。
莫大な製作費がかかっているのだから、それを募金しろ、という謎批判を目にするが
その元手は一体どこから出てくるのか。
番組を作ることによって初めて、スポンサーが資金提供をするのであり
金は無駄に使われているどころか、経済にプラスだ。
他の番組を作る時と本質は何も変わっていない。
番組内で募金を呼び掛けているか否かの違いがあるだけだ。
それでもなお否定したいのであれば、テレビというメディアそのものを否定するしかない。
24時間テレビの内容は前述の通り私は嫌いだが、それで局の戦略を批判することはできない。
なぜなら、視聴率が取れているからだ。
テレビの存在価値は広告であり、広告の価値は視聴率で決まる。
高視聴率ということは、広告コンテンツとして優れていることに他ならない。
もし批判したいなら、相手はくだらないコンテンツを優良化している一般大衆だ。
テレビ局の制作陣とて一般大衆の部分集合でしかない。
大衆が愚かなのに、テレビ製作者には崇高な精神を求めるのはおかしな話である。
政治家批判も似ている。
現状、民主党はこれでもかというくらいに批判されているし、批判されて仕方のない部分も多い。
しかし、政権交代を実現させたのは他ならぬ一般大衆だ。
政治家にも責任があるが、選んだ側にも同じだけの責任があるはずだ。
どいつもこいつも、嘘ばかりで信用ならない、というのならば自分で立候補するしかない。
政治家にふさわしい人材を、大衆から輩出するしかない。
豊かな実りを望むには、先立って肥沃な土壌が不可欠である。
しなびた苗しか育たないのは、土壌が枯れているということだ。
大衆にとって必要なのは、相手を批判することではなく、自分たち自身を良くすることだ。
簡単なことではないが、それに気付かず個人を貶め続けることくらいは、やめてほしいものだ。