namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

王湛

晋の時代の王湛という人物。

何やかんやと色々なエピソードを抱えているようだ。

しかし個々のエピソードの登場人物にはなっていても

彼個人を紹介しているところが見当たらない。

というわけで王湛伝をできる範囲で訳します。

かなり間違っていそうだが気にしない、わからないところは飛ばすなり適当にする。

そんでもってできるだけ読みやすく意訳します。

 

王湛は字を処沖と言った。司徒・王渾の弟である。若いころから博識だった。

身長は七尺八寸で、竜のような額と大きな鼻があり、寡黙であった。

もとより隠れた徳の持ち主であったが、それを理解できる人はいなかった。

兄弟親族はみな、彼がアホだと思っていたが、父の王昶だけは彼が異才の持ち主だと考えていた。

父が死ぬと、一族の墓守をした。

世間の人と交わらず、静かにひっそりとしていたが、朝廷を補佐したいという望みをもっていた。

 

兄の子・王済は彼を軽んじ、自分は贅沢に食事をしながら、湛には分けなかった。

湛に野菜を取りに行かせ、それを食べさせていた。

済が湛に会いに行ったとき、枕元に周易(書名)があるのを見つけた。

済「叔父さんは何しにこんなものを置いてるんだよ?」

湛「体の調子が悪いときに読むんだ」

済は周易の講釈を求めた。

湛の講釈は中身を深く解き明かし、独創性もあり、今まで聞いたことのないものであった。

済は高慢で、叔父を甥として敬うこともなかった。

しかしその講釈を聞くと、自然と感動を覚え、心身が目覚める思いであった。

済は連日連夜、湛の下に留まって、自分がまだまだだと知って反省して言った

「家に名士がいるというのに、三十年も気づかなかった。私の失態だ。」

 

家を去るとき、湛は門まで見送った。

済は乗りこなすのが難しい馬を連れていた。

済「叔父さんは乗馬は好きですか?」湛「うむ」

湛がその馬を見事に乗りこなす様は、どんな乗馬の名人にも劣らないものであった。

済も乗馬が大好きだった。

湛「この馬は元気だけど、体力がないから負担には耐えられないね。

最近見かけた督郵(役職名)の馬は優れていたけど、エサが十分に与えられていない」

済は試しにその馬を、自分の馬と同じように育てた。

湛「こいつは荷重の扱いを分かってる。平地でも山道でもいけるよ」

済が試したところ、済の馬は途中で倒れたが、督郵の馬は平然としていた。

済は叔父の才能にますます感嘆した。

済は帰って父親に言った

「私はやっと叔父が理解できました。彼は私以上の人物です」

 

時の皇帝・武帝(司馬炎)も王湛をアホ扱いしていた。

王済に会うたびに言った「君のアホ叔父さんはまだ死んでないのかね?」

王済はいつも無言だった。

今度もまた同じように言ってきた。

王済は言った「うちの叔父は全然アホなんかじゃないです」

そして彼の素晴らしさを称えた。

武帝「誰に比べられるかね?」

王済「山濤以下、魏舒以上」(両名とも当時の高官)

世間の人は、王湛は山濤にはまるで及ばないが、魏舒よりは断然上なんだ、と言いあった。

王済はこれを聞いて言う「優劣をつけがたいと言って欲しいのだが」

 

王湛は若くして秦王文学、太子洗馬、尚書郎、太子中庶子を歴任し

朝廷の外に出て汝南内史(国相)になった。

元康五年に、四十七歳で死んだ。子の王承が家を継いだ。

 

嫁選びの逸話もあるようだが、書く時間がないので一旦中断