強姦罪があまりに重く見られすぎている
私は男だし、被害に遭ったこともない(というか、男性には適用されないらしい、ふざけてる)。
知り合いが被害に遭ったなんて話も聞かない。
そういう立場の人間の主観だが、強姦のひどさを大袈裟に語る意見をよく見るようになった気がする。
強姦は殺人よりひどい、とか、あらゆる犯罪の中で最も卑劣な行為、とか
被害者の人生が滅茶苦茶になった、とか、いくらなんでも言い過ぎだ。
普通の暴行と比べてどうだろうか。
性的暴行の場合でも、最悪の場合は身体的被害も大きい。
(前述のようなヒステリックな意見は、精神的側面しか見ていないような気もするが)
一方精神的ダメージはほぼ間違いなく多大である。
通常の恐怖に加え、恥辱という要素が加わってしまう。
そして何よりも、多くの被害者が、受けた行為と類似した行為を別の相手と行う必要に迫られること、それが人として欠かせない行為だということが、大きなマイナスだと思う。
被害は一回でも、繰り返し恐怖と戦わなければならないのだ。
(純潔が喪われたショック、などという宗教的な感覚は、ここでは無視する。私には分からん)
というわけで、最悪の場合ならば、暴行(傷害)より強姦の方が酷いと私は思う。
(身体的被害の小さい強姦であれば、どちらが上とは判断しかねるという意味でもある。)
では、DVはどうか。
こちらは普通の暴行と同じように、積極的に身体的ダメージを与えてくる。
そして精神的には、恥辱の代わりに、一番信頼すべき伴侶に裏切られるという失望が加わる。
そして伴侶である以上、簡単に逃げるという選択はできない。
最も頼れる人は伴侶であり、最も安全な逃げ場は我が家である。それが危険になれば、そもそも逃げられるかどうかもわからない。
子供がいれば、もはや自分一人の問題でもなくなってしまう。
このような圧倒的に不利な状況に追い込まれ、長期間に渡って悩み耐え続けなければならないのだ。
レイプ経験のせいで性行為がトラウマになって夫との関係にひびが入る、どころの話ではない。
夫が、トラウマになるのだ。
強姦は解放されれば、肉体的・精神的な傷以外は残らない。
しかしDVから解放されるためには、長い年月をかけて築いた家庭を犠牲にする必要がある。
そうなると、生活基盤を失い、将来に渡ってダメージが残り続ける。
過去の人生は過ちとして否定され
女性としての尊厳程度ではなく、人間としての尊厳が傷つく。
私は、DVは強姦よりもはるかに酷いものだと感じる。
なのに罰則は傷害と同じで強姦より軽い。あまりに不公平だ。
強姦罪が重すぎるかどうか、はこの際どうでも良い。
本当に言いたいことは、DVが軽く扱われすぎている、ということだ。
これだけは声を大にして主張したい。