森元総理の発言を見直す
森元総理の発言「大事なときには必ず転ぶんですよね」
が方々から非難されている。
これについては誤解だと指摘するニュースを見かけたので、いずれ沈静化するかと思っていたが、全然そんなことはなかったのでここに記す。
http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/02/post-259.html
ここに講演の内容の一部が文字に起こされている。
全部読め、と言いたいところだが、大半は読みそうにないので、妥協して該当部分だけ以下に引用する。
志のある方は全文読んで下さい。
無関係な内容が多くを占めますが、どういう雰囲気の場での発言なのかを知るのも重要ですから。
「それ全部やって一番最後に真央ちゃん。なんとか頑張ってくれと思って皆見ておられたんだろうと思いますが、見事にひっくり返っちゃいましたね。あの子、大事なときには必ず転ぶんですよね。なんでなんだろうなと。
僕もソチ行って、開会式の翌日に団体戦がありましてね、あれはね、出なきゃよかったんですよ日本は。あれは色んな種目があって、それを団体戦で。特にペアでやるアイスダンスっていうんですかね。あれ日本にできる人はいないんですね。あのご兄弟は、アメリカに住んでおられるんだと思います確か。ハーフ。お母さんが日本人で、お父さんがアメリカ人なのかな。そのご兄弟がやっておられるから、まだオリンピックに出るだけの力量ではなかったんだということですが、日本にはいないもんですから、あの方を日本に帰化させて日本の選手団で出して、点数が全然とれなかった。
あともう皆ダメで、せめて浅田さんが出れば3回転半をすると、3回転半をする女性がいないというので、彼女が出て3回転半をすると、ひょっとすると3位になれるかもしれないという淡い気持ちでね。浅田さんを出したんですが。また見事にひっくり返っちゃいまして、結局、団体戦も惨敗を喫したという。
その傷が浅田さんに残ってたとしたら、ものすごくかわいそうな話なんですね。団体戦負けるとわかってる、団体戦に何も浅田さんを出して、恥かかせることなかったと思うんですよね。その、転んだということが心にやっぱ残ってますから、今度自分の本番のきのうの夜はですね、昨日というか今朝の明け方は、なんとしても転んじゃいかんという気持ちが強く出てたんだと思いますね。いい回転をされてましたけど、ちょっと勢いが強すぎたでしょうかね。ちょっと転んで手をついてしました。だからそういうふうにちょっと運が悪かったなと思って見ております。」
読んだ方ならばお分かりだろう。
「大事なときには必ず転ぶんですよね」ではない。
それに続く「なんでなんだろうな」が主題だ。
転んだことを馬鹿にしたどころか、転んだことが信じられず、自分達お偉方の責任ではないかと後悔しているのだ。
全く意味が反対なのである。
森氏の口が悪いのは間違いない。
たとえば、団体は負けると分かっていた、という発言を不快に感じる人もいるだろうが、
(事実勝てる見込みは限りなく低く、実際に負けた後のことなので失言とは思わないが)
これは団体戦を犠牲にしてでも、浅田選手に勝たせてあげたかったという強い思いがあればこそだ。
ところで、全文を読まれた方ならば気になっただろうか。
リンク先の終わりに近い部分。違う話題をする中での発言。
「マスコミというのは、そこのところだけ取るんですよ。前後の話は何にも書かないでね。俺が「神の国」だっつったって、別に神様だけ言ったわけじゃないだよ。仏様も、お釈迦様もキリスト様もみんな大事にしなきゃだめだよと言って、だけど、日本は神主さんが沢山いたから神様の国ですよねって言ったら、森総理は「神の国」といってと、もう袋叩きにあうです。ああいうこと書いた人みんな天罰が当たると私は思ってます。(会場笑い)私は逆に神様のお守りがあったからここまで来れたんだと思ってますが。」
今回、まさにこの通りとなった。
前後の話は何にも書かないでそこのところだけ取られ、袋叩きにあう。
釘を刺されたにも関わらず、これだ。一体記者は何を聞いていたのだろう。
彼らに天罰が下って欲しいものだが。
記者だけではない。それを読んで批判を展開する人々とて同罪だ。
発言の断片だけを聞いて、なぜ森氏を批判しようと思えたのか理解できない。
私は最初に冒頭の発言を目にしたとき、どういう意味で言ったのかわからなかった。
肝心なときに失敗する情けない人だという意味にも取れるが
過去にも大会で転んだことがあり、悲劇が繰り返されて残念という意味にも
プレッシャーに弱いことを知っていて、懸念が現実になったという意味にも取れる。
だのにその真意を確かめることなく、悪い意味に勝手な解釈をして批判するなど、愚の骨頂だ。
全文を読んでも森氏の発言を批判したい人もいるかもしれない。
もちろんそれはそれで良い。
だが、断片しか見ずに、見せずに、わかったような体で論評する輩は許せない。
木を見て「森」を見ず、とはまさにこのことだ。