山の日の領分
山の日が制定された。
「海の日」あるなら…「山の日」も、16年から
a. http://www.yomiuri.co.jp/politics/20140523-OYT1T50097.html?from=ytop_ylist
>日本山岳会などが「海の日があるなら山の日も」と制定運動を進めてきた。
ということらしいが、果たして山の日は海の日に比肩するものであろうか。
b. http://omocha.hakuoh.jp/ip/uke/syukujitu.html
によると、海の日には
「七月の第三月曜日 海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」
という趣旨がある。
一方山の日は、冒頭の記事 a によると
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」
ということらしい。
”山に親しむ機会を得て”というのは、日本山岳会が発案者の一人ということからもわかるが、率直に言うと登山のことだ。
しかし、一部の趣味にすぎない登山を祝日の意義に含むのはいかがなものか。
さて、海と山に共通する文言は”恩恵に感謝”である。
これについて考えてみたい。
日本は紛れもなく海洋国家であり、山岳国家でもある。
海幸彦と山幸彦の神話があることからも、共に日本の重要な要素だと考えられていたことは間違いない。
海の幸といえばやはり、塩と魚介類だ。特に岩塩に乏しい日本において、塩の安定供給は重要だ
恩恵という意味では、徒歩や馬に比べて多くの物資を運べる、船という移動手段を使えることも大きい。
一方山の幸というと、木や山菜などの植物、獣である。
食料に加え、道具や家屋の材料となる木材や毛皮を入手できる。なんと衣食住の全てを賄えるのだ。
川や湧水によって、真水も入手しやすい。
こう書くと、山は海に負けていないと言えそうだ。
これはこれで、間違いではないと思う。
しかしこれは昔の話。
現代日本においては、漁業は今でも盛んだが、狩猟はほぼ行われていない。
植物も人工的な栽培が主流となり、直接山から採取することは随分と減っている。
そして肝心の木材さえも、ほとんど輸入に頼っているのが現状だ。
それでも、多種多様な動植物が生きていけるのは、ひとえに山のおかげである。
ところで、海の日、山の日は確かに対であるが、祝日にはもう一つ、これらと比べるべき祝日があることに、お気づきだろうか。
答えは、「みどりの日」である。
冒頭のリンク b によると、みどりの日の意義は
「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」
つまり、木や植物への感謝は、既にみどりの日によって行われているのだ。
さらに言うと、春分の日の意義は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」である。
今やめったに食料とはされず、慈しむべき対象となっている山の動物への感謝は、こちらで十分なのである。
川を山の恩恵の一部と解釈できなくもないが
海のない奈良県では、海の日を「奈良山の日・川の日」としていたり、
岐阜県では、8月8日を「ぎふ山の日」であり、市では7月7日を「川の日」と定めているように、山と川は別物という解釈が既に自治体に出回っている。
また、「登山の日」は10月3日に存在する。(ただのごろ合わせだが)
登山を普及するだけであればそちらで事足りる。
「山の日」を新設してまで祝うようなことは、残っていないようである。