namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

マララ・ユスフザイさんの前半生

マララさん等のノーベル平和賞受賞は数日前のことだというのに,もう彼女に関するニュースを見なくなった.

受賞後のスピーチを聞くと良く分かるが,マララさんは賞を必要としていない,ただ周囲が共に声を上げるのを望んでいる.

銃撃以来色々ともてはやされてきたが,ただ大人が少女を祭り上げるだけで終わっているように見える.今回もそうなるのだろうか.

 

などなど色々と思うことはあるのだが,その前に私含めほとんどの人は,マララさんのことをろくに知らない.

「人権活動家で,タリバンに撃たれて,ノーベル平和賞を受賞した人」くらいの知識しかないだろう.

意外なことに日本語版Wikipediaの記述もあまり詳しくない.そこでより詳しい英語版Wikipediaを適当にまとめた.銃撃されるより以前,何があったのか.

(英語力は低いので,正確性は保証しませんし,間違っていても責任は負いません.指摘されたら修正はします.)

 

父親,ジアウディンは教育活動家であり,学校のオーナーであった.幼い頃マララは医者になりたいと言っていたが,ジアウディンが代わりに政治家を勧めた.ジアウディンはマララを特別視し,弟らが寝たあと夜遅くまで政治を説いた.
2008年(11歳頃),ジアウディンはマララを報道陣の前で喋らせた.
マララは問いかけた.「どうしてタリバンは教育の権利を奪うの?」

2008年末,マスメディアのBBCウルドゥーは,タリバンが影響力を増しているのを懸念し,匿名で女学生に生活をブログに書かせることを思いついた.そこで教師のジアウディンに連絡をつけたが,危険なので誰もやりたがらなかった.
アイシャという15歳の少女が協力を申し出たが,家族が反対して頓挫した.そこでジアウディンは,実娘のマララを紹介した.

2009年1月3日,マララによる最初の投稿
タイトル“怖い”
“昨日,軍隊のヘリとタリバンが出てくる,怖い夢を見ました.私の町で戦いが始まってから,ずっとこんな夢を見ています.お母さんが朝ごはんを作ってくれて,学校に行きました.タリバンが女の子はみんな学校に行ってはいけないと命令していたので,行くのが怖かったです.
27人のうち11しか出席していませんでした.タリバンの命令のせいで減ってしまったのです.この命令が出た後,私の3人の友達は違う地域に引っ越してしまいました.
学校からの帰り道で,「お前を殺してやる」という男の人の声が聞こえました.走りながら振り返ると,まだ後をついてきていました.でも,その人は携帯電話でしゃべっていて,脅していたのは電話の向こうの人だったので,ほっとしました.”

戦闘が行われる中出席する少女は減り,遂にマララの学校は閉鎖されてしまった.改めて女子の通学を禁止し,連帯責任として男子の学校も一時閉鎖された.
Wikipediaにはまるで理由が書かれていないのだが)その後男子学校が再開されると,タリバンは制限を緩めて共学を認めた.政府軍との和議が成立すると女学校も再開された.これは2月のことである.
マララはニュース番組に
「政策の違いをもって女学生の権利を侵してはならない.侵害する者はイスラムの名を汚す」と語った.
3月12日にブログは終了した.

New York Timesの記者がマララに接触し,記録映像を取ることにした.
5月,戦闘が再開され,ジアウディは支援に向かい,マララは父親と離れて地方の親族に預けられた.
夏,マララは父親の活動に触発され,初めて医者ではなく政治家を志すようになった.
7月,政府軍がタリバンを追い払い,マララは家族と合流した.
米大使に会い,教育のための支援を訴えた.

2つのメディアから取材を受けた.8月には討論番組に出演した.
12月,ブログの執筆者であったことが公表され,以後メディアで女性の教育について訴える活動を行う.

2011年,「International Children's Peace Prize」にノミネートされる(その年は受賞しなかったが,2013年に受賞).
同年,パキスタンで「National Youth Peace Prize」が創設され,マララが受賞(これは後に「National Malala Peace Prize」と改称され,2014年現在受賞者はマララのみ.)
マララはいずれ教育を推進する政党を立ち上げたいと述べ,またマララのリクエストにより,大統領は女性のための大学を立てることを指示した.
2012年までには,貧しい少女が学校に通えるように,「マララ教育基金」を設立する計画が始まっていた.

そして2012年10月,銃撃事件が発生した.

 

まとめは以上.

この知識を前提として,あらためて別記事でマララさんについて考えてみたい.