傀儡の少女
この記事では、マララ・ユスフザイさんの前半生 で訳した内容について、私が思うことを書き連ねます。
ひねくれた内容になるので、不愉快なものかもしれません。
それでも構わないという方のみお進み下さい.
結論から言うと,マララさんは,ずっと周囲に弄ばれている,そう感じた.
幸か不幸か,彼女には周囲の押し付けを受け入れ,昇華させる器量があった.
今のマララさんの状況は,都合良く作り変えられた,操り人形に見える.
今からそう感じた理由を見ていく.敬称略.
マララは本来医者を志していた.しかし父親が教育者であり,彼はマララに医者の代わりに政治家を勧めた.政治を説き,メディアに向かって喋らせもした.まだ10歳程度の少女に.
この時点で既に,マララ本来の夢であった医者ではなく,政治に関わるよう仕向けられている.
マララが称賛されるきっかけは,タリバン支配下での生活をブログに綴ったことだ.
恐怖に屈せず教育の権利を世界に訴えた…などというものではない.
普通の少女としての生活を綴っているだけである.
学生なので必然的に学校の話題が多くなり,学校に行けない残念さと,学校に行かせないタリバンへの不満は表れているが,教育の権利を声高に主張する,といった意図はそこにはない.
そもそもブログを書くことになったのは,BCCから提案を受けた父親に指示されたからであり,マララが志願したものではない.にもかかわらず,今ではこれがマララの人権活動の始まりとされている.完全にずれている.
結局,マララは父に影響されて政治家を志すようになった.父の狙い通りである.彼は「彼女(マララ)の『翼』を切り取らなかった」と言っているが(下記リンク参照),翼を切り取らずとも飛ぶ方向を誘導したのは間違いない.
ジアウディン・ユスフザイ: 私の娘、マララ | Talk Video | TED.com
マララがブログの執筆者であることがメディアで公表され,マララは教育の権利を訴える活動を始めた.
しかしマララを傍で支える大人達が見当たらない.すなわち,わずか12歳の少女を祭り上げ,陣頭に立てたのだ.
マララはタリバンから脅迫を受けていたというのに,マララの名を冠する賞を創設するなど,国を挙げて持ち上げ,彼女を余計に危険な状況に置いた.
その結果,撃たれた.
英語版Wikipediaに書かれている限りでは,マララがタリバンに襲撃されるまでに受けた賞は2つだ.
一方で襲撃されて以降、退院までのわずか3カ月弱で得た賞は,5つにも上る.
ベッドの上で苦痛と闘っている内に,今度は世界中から持ち上げられていたということだ.
もう一度タリバンに狙わせたいのだろうか.
特にひどいと感じる例が,International Children's Peace Prize だ.
2011年に,ノミネートされていた.
2012年は,どうやらノミネートすらなかった.
2013年に,受賞した.
自分が撃たれ、未だ平和でないことを身を持って証明した途端に Peace Prize が与えられるなんて,滑稽ではないか.
そういう意味では,今回のノーベル平和賞も似たようなものかもしれない.
マララが撃たれたことで,世界のあちこちから非難と同情の声が湧きあがった.大勢がタリバンを糾弾した.しかし,それと同時に教育の権利をタリバンやその他勢力に訴えたのはどれだけ居ただろうか.
結局,大義の旗印に利用しているだけだ.
ところで,マララさんは国連でのスピーチで,無料の義務教育や女性の権利と同時に
「私たちはすべての政府に、テロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為や危害から子どもたちを守ることを求めます。」
と言っている.
タリバンのテロリズムと暴力に立ち向かい,かつ子どもを守る方法はただ一つ,武力で殲滅する以外にない.
マララさんを称える政府は,この求めに応じるつもりでもあるのだろうか.