悪い心理テストのお話 (のつもりだった)
mixiをやっていると、ニュースのところにしばしば心理テストを見かける。
自分は普通の人と色々とずれているので、基本的にテストをしては外れる、の繰り返しなのだが、普通の人は大体当たる。
それもそのはず、質問内容と結果に因果関係があるからだ。
「子供が泣いています、どうしますか」という質問で、「声をかける」「無視する」という2択があるとする。
前者ならばその人は社交的、後者ならば自己中心的、というのは自然に推測できることだ。
このように単純な質問をいくつか組み合わせて性格を絞り込み、その性格から推測できる事柄を大仰に発表するのが、心理テストの理屈だ。
しかし、「心理テスト」という名前のせいで、いかにも不思議な予言をされたような感覚に陥ることがままある。
mixiでこのような心理テストを見つけた。
http://happism.cyzowoman.com/2012/09/post_1293.html
「甘くておいしいお菓子」「美しい仮面」「キラキラの金貨」「不思議な羽飾り」のうち3つを手放さなければならない。どの順番に手放し、最後に何を残すか、というテストだ。
最初に手放した方が不必要なものであり、最後まで残ったものが自分が大切にしているものだ、という理屈らしい。
そして
「甘いお菓子」は「愛情」
「仮面」は「プライド」
「金貨」は「金」
「羽飾り」は「自由」
を示すそうだ。
「金貨」と「金」はやはり因果関係がある、というより同義だと言える。
愛情とは甘いものだし、仮面は自分を偽り隠すことのできる道具だ。羽=鳥は自由の象徴だ。一見これらも因果関係があるように思える。
しかし、これらの因果関係はあくまで象徴的なものでしかない。
お菓子を持っていても、誰かの愛情が得られるわけではない。
仮面を持っていても、実際に身につけてプライドを保つことはしない。
羽飾りを使っても、空を飛ぶことはできない。
現実問題として、非実用的なのである。
実用的なものと非実用的なものが選択肢に混在するようなテストは、公正さに欠けていて役に立つ代物ではない。
しかしこれらもまた、同じ「心理テスト」として流布している。
選択肢における正邪の混在が、心理テストそのものをも、正邪が混在するようにしてしまっている。
心理テストをした人も、正のテストをした人と、邪のテストをした人に分かれる。
部分的でしかなかった混沌が、より広い範囲を混沌に変えてゆく。恐ろしいことではないか。
そしてこの記事まで、混沌としてしまった。何を書いているか分からなくなった。
要するに、心理テストは正しく作りましょう、ということです。