namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

劉禅は暗君だ

最初に断っておくと、今回は蜀書「後主伝」しか読んでいません。

その範囲内でのみ論ずるということをご了承ください。

 

時々目にする、劉禅は実は有能だったという評が、気に入らない。

諸葛亮らを信任して存分に力を発揮させた

・40年の間統治し続け、大きな反乱もなかった

・無駄な抵抗をせず、降伏する英断で民を守った

などが理由として挙げられている。

 

一つ目は、確かに公孫瓚のように、自分より有能な奴を迫害するだとか

末期孫権のように、重臣を対立させた挙句大勢を処刑するとか

そういうのに比べればすこぶる賢明である。

ただ、その実は劉禅自身がまるで何も主体的に行わなかっただけだ。

後主伝を読む限り、本当に何もしていない。

誰々が何かをした、という記述がほとんどで、劉禅が主語になっている文章はほぼない。

 

強いていうならば、諸葛亮が出征する際にありきたりな長ったらしい演説をしたことと

「五虎将」と龐統に追諡したことくらいだ。

しかし、かなり初期の記事に書いたのだが、趙雲だけ他の5人より半年後に追諡されていることから

劉禅趙雲をゴリ押ししたと思っている。

劉禅最初で最後の自己主張ではないだろうか。

 

話が逸れたが、とにかく何もしていない。

他の皇帝であれば、少しくらいは発言があるものだが、前述の演説以降は降伏までない。

臣下とのやり取りが存在せず、時事を問うことも、故事を学ぶこともしていない。

 

治世ならまだしも、他国と競う乱世にあって、停滞は退行に等しい。

それを承知の上でか、治世だったら名君だった、という評も聞くが、悪いところが見えないだけの凡君の域を出ない。

国会で寝ているだけの議員だと思えば納得できるだろうか?

 

二つ目。40年間もの長きに渡り皇帝の座にあったのは素晴らしい、ということらしい。

たまたま40年間死ななかった、国が残っていた、それだけだ。

ルイ14世のように、絶大な王権を発揮し続けていたのなら知らないが、座っていただけの人間に期間もへったくれもない。

この理屈だと、劉禅が在位20年で病死していたら暗君だったとでも言うのだろうか。

 

臣下による反乱が起きなかったのは劉禅のおかげではない。

はっきり言うと、反乱しても勝ち目がない。

国内で反乱しても、寿春の毋丘倹達のように、他国の援軍は立地上期待できない。例え漢中でも。

そして失敗しても簡単に逃げられないというリスクがある。

成都近辺で反乱した場合は、圧倒的に力の差がある漢中軍に攻撃されたらまず勝てない。

南では、孟獲を初めとして頻繁に起きているので、既に締めつけが強い上、地力もない。

そもそも、国を転覆させるほどの大規模な反乱を起こそうものなら、その隙を魏に攻められて共倒れである。

一番良いのは漢中を掌握して魏に降伏、であるが、そんなことができるのは蒋琬・費褘か姜維くらいだ。

 

三つ目、降伏の決断であるが、私から言わせれば遅いくらいだ。

綿竹を抜かれて成都に迫られ、追い詰められて降伏したに過ぎない。

本当に戦を避けるつもりがあれば、漢中失陥の時点で降るべきだ。

あの状況になっても降伏しないのは、劉備くらいではなかろうか。

(徹底抗戦ではなく雲南に逃走するような気がする)

連年魏を攻める姜維を制止するでもなく

剣閣で防戦する軍を激励するでもなく

ただ最後まで無関心を貫いた。

これで民を守った名君とはちゃんちゃら可笑しい。

 

袁術孫晧は、その悪行を白日の下に晒したことで批判される。

孫権は、すぐれた政治力を発揮して国を発展させるも、耄碌して衰退の原因も作った。

明も暗も併せ持つ、混沌とした君主であった。

劉禅は彼らとは違い、光の当たる行いをしなかった。

その代わり、例え臣下が心血を注いで尽くそうとも、例え国が傾こうとも

いかなる光も発せず、その存在を見せなかった。

彼はまさしく文字通りの、暗君である。