namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

頑固者

1. 新しいアイデアを無視し続ける人は、頑固者だ。

2. 一般的に良いとされる価値観を否定する人は、頑固者だ。

 

私は色々な人から頑固者だと言われる。たぶん他人は、上に書いたような基準でそう判断するのだろう。

 

1'. 相手の提案のことごとくを、論理的に理由を説明して否定していたら

私は頑固者だと言われた。

2'. 論理的に唯一の正解が存在しない私の個人的な問題において

相手に異なる選択肢を勧められ、自分の価値観に合わないからと拒否していたら

私は頑固者だと言われた。

 

1'の例では、どうして筋を通して説明しているのに、頑固者と言われなければならないのか。

道理に合わない提案に応じる方がどうかしている。

むしろ、引き下がらずに筋の通らない提案をしてくる方が、頑固者ではないのか。

 

2'で私が相手を否定するのは、私はチャレンジよりも、リスク回避を重視する人間だからだ。

ヒトが成長するにはチャレンジが必要であることは知っているが

チャレンジには失敗するリスクがあり、失敗は0ではなく大きなマイナスになりうる。

だから、失敗のリスクが高いチャレンジは極力回避して、多少不満があっても現状維持を選ぶ。

成功者になれないタイプだ。社会に益をもたらす存在にならない。凡人で終わってしまう。

それは承知している。

しかし選択として間違いだと言えるだろうか、チャレンジが正しいと言えるだろうか。

 

なのに頑固者だと言われる。

いや、これだけならまだわかるのだが、

常にハイリスクなチャレンジをして、10度も失敗し続けたら、こちらもまた頑固と言われる。

チャレンジをする時、しない時を交互にしろとでもいうのか?

成功率が明示されているわけでない以上、チャレンジと回避は等価な選択肢だ。

チャレンジし続けても、回避し続けても、交互にしようと、本質的には変わりない。

結局、勝者こそ正義なんだ。

 

わかりにくくなったので、2のわかりやすい例を挙げると

ビル建設のための立ち退き提案を拒む“頑固じじい”だ。

相手としては、どうしてこんな好条件で引っ越させてあげるのに、生まれ育った土地がどうとか住み慣れた家がどうとかで、こんなボロ家に拘るのか理解できない。

しかしおじいさんは、新しい綺麗な家よりも、古いが親しんだ家を重くみている。

感情が先行しているとはいえ、住む場所の選択に感情が入り込むのは当然だ。

そして、一般的に認められている「普通」も所詮は感情の集合に過ぎない。

やはり等価な選択肢でしかない。

 

そもそも、こちらが頑固者だと呼ばれるほど相手を否定することになっているのは

その間ずっと食い下がっている相手がいるからこそだ。

頑固者はどちらか。