差別民という差別
「練炭と顔の色が同じ」 韓国与党代表が黒人留学生に差別発言 (ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース
これは「失礼な発言」であって、「差別発言」ではない。
他人との違いを問題にしているわけではないのだから。
黒人でも、差別意識と無関係にジョークを言われることもあるはずだ。
「黒人は差別発言を受けるのが当たり前」という考え方こそ、差別ではないのか。
指標
AKB48シングル総売り上げ日本一に=秋元康氏の作詞曲、1億枚-オリコン (時事通信) - Yahoo!ニュース
もはや定番だが、AKBというグループのCDの売り上げはすさまじい。
しかし、その販売力の陰には握手券という存在がある。
そのため、AKBの売り上げ記録は無意味だ、AKBは音楽界を荒らしている、などという意見をよく見る。
AKBのCDは一人が何枚も買うため、AKBのファン数を正しく表したものではない、というのは間違いないだろう。
だが、売ったという事実もまた揺るぎない。
この2つの事実を一つの数字だけで判断しようとするのが、そもそも誤りなのである。
もしこの不便な状況を何かの責任にするならば、それはAKBではない。オリコンなど、調査会社にある。
ものを測る指標が唯一絶対のものではないことは世間の常識である。
例えば経済指標にはTOPIXや日経平均株価などがあり、その計算方法も変化している。
学力の測定方法も多様であり、2021年には入試制度が大幅に変わるという。
時代の流れやニーズに応じて相応しい測定方法を編み出すことは調査会社の重大な責務であり、単一の指標に頼り続けるのは怠慢なのだ。
謎のLINE推し
ニュースでわざわざ、LINEを使った、というのを明記しているのを良く見る気がする。
例えば下のニュースでも。
ダルビッシュ翔容疑者、野球賭博での利益少なくとも5千万円(TBS系(JNN)) - Yahoo!ニュース
“客は試合の勝敗を予想し、翔容疑者に無料通信アプリのLINEで申し込み、その掛け金の1割が翔容疑者に入る仕組みだったとみられています。”
「翔容疑者に申し込み」と書けば十分で、申し込み方法がLINEだったなんていう情報は必要ないはず。ラインだろうと電話だろうとツィッターだろうと、事件に何の影響もない。
どうしてこういう書き方をするのか、知っている方がいらっしゃれば教えてください。
春画を肯定しようとして結局否定している人達
若い女性が行列…18禁「春画展」芸術かわいせつか (日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
猥褻目的で作られて、当時でも規制をくらっていた作品群を
「猥褻ではなく、芸術だ」
と主張するのは、無理があるにもほどがある。
だけでなく、作者に対する侮辱だと思うのだが、そう感じる人は少ないのだろうか。
記事によれば、猥褻の定義は
「いたずらに性欲を興奮または刺激させ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの」
だそうだが、春画は猥褻ではないと主張することはすなわち、これに該当しないということであるから
「お前の絵、現代人はちっとも興奮しない。ただの絵と変わらない。」
と言っているようなものだ。
彼らは春画が本来持っていた価値を否定しているのだ。
熱しやすく冷めやすい
海岸に打ち上げられた移民男児の遺体、欧州各国で波紋呼ぶ 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
たった一人の男児の事故死に今さら何を言っているんだろう。
シリア内戦とか何年前からやってると思ってるんだ。
逃げる余裕がある、という比較的マシな境遇の人が、(男児自身の意志ではないにせよ)リスクを承知の上で脱出を決行した結果がこれだ。
逃げる間もなく攻撃されて死んだ人の方がよほどかわいそうではないのか。
こんなのより、より生々しく、えげつない写真は大量に出回っているはずだが、見ていないんだろうか。
間違いだらけの論理の常識
論理を語る上で、根拠のどこかで矛盾が存在していた場合、それ以降の言い分は全て正当性を失うし、ただ一つでも反例が存在するならば、その主張はどうあっても否定されなければならない。
これが分からない人が非常に多いと感じる。
悪い例として、こんな動画を見つけた。
ヘッドスライディングに関する部分である。
“さらにもう一つ、桑田さんが無駄だというのが、この一塁へのヘッドスライディング。そこで、ヘッドスライディングは本当に速いのかを実験。”
した結果、ヘッドスライディングの方が速いという結果が出た。
この時点で、ヘッドスライディングは無駄だという論理は破綻している。
にもかかわらず、そのままテーマを継続し、ケガをする危険性が高いため禁止、という実験となんの関係もない論理を展開している。
論理破綻にすり替え。最悪な例である。
さらにそのヘッドスライディングの危険性についても、ひどい展開になっている。
“僕はしない方がいいと思います。なぜなら、あの世界の盗塁王福本さん、今でいうとイチロー君、ヘッドスライディング見たことないでしょ。ないですよね。で、今三年連続パリーグの盗塁王を獲得してる西武の片岡選手にも、話を聞いてみましたので、どうぞ。”
それに対する片岡選手の反応
“ヘッドスライディングをして、ケガをした経験もあるので、それからはあまりしていないです。”
桑田は持論の根拠として、福本選手もイチロー選手もヘッドスライディングをしていないことを挙げている。さらに主張の補強として、西武の片岡選手の意見を加えている。
ところが、片岡選手はあくまで「あまりしていない」であって、「見たことない」前述の二人とは異なり、全面禁止しているわけではない。
それどころか、ケガをする以前は多用していた、ということさえ読み取れる。
同列に挙げられたはずの福本選手・イチロー選手の両名と、片岡選手とで矛盾している以上、これは意味のある根拠にはならない。
よって、これを根拠としている桑田の主張は否定されなければならない。
細かいと感じる人も多いだろうが、論理とは本来そういうものである。
なおも主張したいのであれば、矛盾しない範囲で論理を展開すればよい。
この例であれば、ケガの危険性が高いという事実は否定されておらず、片岡選手による追認もある。
なので、今回主張できるのは
「ヘッドスライディングはあまり推奨されない。なぜならケガの危険性が高いためである。その根拠として、盗塁王片岡選手の意見がある。」
ということまでである。
この例における過ちは、ヘッドスライディングは無駄だとか、盗塁王はみんなヘッドスライディングをしないとか、余計なことを主張してみずから論理破綻を招いていることであり、さらにその破綻を無視していることである。
野球の常識よりも、論理の常識を知る方がよっぽど大切ではないか。