適材適所で死を悼め
人が死んだら、色々なところで、お悔やみが申し上げられたり、哀悼の意が表されたり、ご冥福が祈られている。
葬式で遺族に対してこれらがなされていればいいのだが、ツィッターで言われたり、ニュースキャスターが言ったりしている。
遺族も故人に近しい人もいないところで
一体誰に対してお悔やみを申し上げているのだろうか。
哀悼の意を表して何を伝えようとしているのか。
故人に冥福あれと本当に神仏か何かに祈っているのか。
特に不愉快なのは、何らかの事件や事故で一般人が死んだニュースで言われることだ。
発言者は、犠牲者について何を知っているのか?
名前、命日、死亡理由くらいだろう。
著名人だとしても、例えば誰かノーベル賞でも取ったような人が死ねば騒がれるだろうが、大多数の人間は、名前、命日、死亡理由+ノーベル賞を取ったこと、しか知らないはずだ。
死は重い一方で、普遍的なものでもある。
よくある死として悲しむ程度ならば、素直に「悲しいよう」と言えば十分だ。
わざわざ他人の死に畏まって言及する意味もない。
本当にその死を重く捉え、感情を抑えられなかったり、自分の気持ちを整理するために述べているような人もいる。
これらの文言はそういった人達のために、濫用して重みを失わせるようなことをせず、残しておいてほしい。