namuiru's diary

自分の思考を整理しておくためのブログ。普通からずれていることは理解している。たまには良い事を書いているかもしれない。

ストーカー

Yahoo!ニュース - 村田兆治氏、面識のなかった健さんから引退試合の日に花束 (サンケイスポーツ)

 

このエピソードが、とても気持ち悪いと感じた私は異端なのだろうか。

見知らぬ人に住所を調べられ、突然家に押しかけてこられるなんて、たまったものじゃない。

たとえ有名人だろうと関係ない。天皇陛下とか大統領ぐらいなら別だが。

百歩譲ったとしても、不器用でシャイな人の、いじらしい振る舞いに思える。

これが感動的だとか格好いいだとか受け取られる理由が、どうしても分からない。

 

 

 

 

私のひねくれた本心を書くと、この行為には憤りさえ感じる。

野球選手のファンは大勢いる。会えるものなら会いたい、感謝を伝えられるなら伝えたい、と思っているファンもいることだろう。

しかし皆が皆そういうことをすれば迷惑になる。

だから会いたいなら球場に行くとか、イベントに参加するとかするのだ。

なのに高倉氏は、マナーを破った。

当時は今と風習が違う、といった反論もあるだろうが、他の人が同様のことをした形跡がないのだから、当時でも通じるマナーであろう。

 

それに、引退試合後の自宅なのだから、愛する家族とこれまでの人生、これからの人生を見つめ直す、大切でデリケートな時間を過ごしていると考えるべきであろう。

もしくは、魂を賭けた一日を終え、疲れ果てて休息しているかもしれない。

何にせよ、アポ無しで押し掛けるとしても当日は遠慮するものではないか。

彼は自分のエゴのために邪魔をしに行ったのだ。幸いにして留守であったようだが。

 

これは僻みと取られるかもしれないが、有名人という特権?をこんなところに利用したことも、腹立たしさの原因だ。

高倉氏は、花に名前を書いて放置した。

帰宅を待ったわけでも、後日出直したわけでもない。

後で電話を入れたらしいが、自分ではなくマネージャーと書いてある。

自分は有名人だから、名前を書いておけば大丈夫。あとでマネージャーに電話させれば大丈夫。

おそらく意識していないだろうが、そういう特権を利用している。

有名人の特権を利用したければ、自身を引退試合の来賓にねじ込む、イベントに呼ぶなどの手段もあったはずだ。

 

このニュースの前半から察するに、この話は故人を偲ぶ美談という扱いだろう。

私にとっては、極めて身勝手で傲慢な人物像を想起させ、イメージを損なう醜聞でしかない。

高倉氏に対する怒りではない。こんな話を喜んで持ち上げる世間が許せない。

間違い探し

試合中に乱入した男をけった選手にレッドカード イスラエル(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース

このニュース動画(37秒)を見てください.嘘を見抜けるでしょうか.

見抜けない人は,反省が必要かもしれません.

 

 

 

 

嘘は,ここ.

>怒った選手が男に先制キック、男も負けじと、けり返した。

 

映像を見れば明らかにそうではないことが分かる.

選手が蹴る動作に入るより前に,乱入男が選手に向かって突進を開始している.

その蹴りも,直立に近い姿勢から足を突きだす形の不安定なものであり,弱々しいものだ.

どう見ても先制キックなどではない,とっさの防御動作だ.

タイミングという解釈でも,両者の蹴りはほぼ同時であり,先制とは言えない.

 

細かい事のようにも見えるが,このわずかな嘘によって,被害者と加害者が逆であるように印象づけられるため,決して許されるものではない.

その後の抗議のシーンも

>「俺は被害者だ」と言わんばかりに抗議するが

と説明されているが,こちらもあたかも本当は被害者ではないような言い回しである.

この選手は正真正銘の被害者だ.

 

事実を見ていない読者に誤った印象を与えようとするケースは少なくないが,

このケースでは,述べている内容と違う映像が同時に流れているにも関わらず,平然と嘘をついているので,さすがに驚いた.

それとも,本当に気付いていないのだろうか.

どちらだとしても,担当者は報道に関わって良いレベルの人間ではない.

アメリカで銃が規制されない理由を簡単に

 銃を規制する

→善人はちゃんと捨てる,悪人は隠し持ったり密造を続ける

→善人だけ抵抗力を失う

→悪人やりたい放題

 

要するに核兵器と同じ理屈.抑止力として持っておかないとバランスが崩壊する.

利権とか政治とか以前の問題であって,そのあたり批判している奴は頭が足りない.

傀儡の少女

この記事では、マララ・ユスフザイさんの前半生 で訳した内容について、私が思うことを書き連ねます。

ひねくれた内容になるので、不愉快なものかもしれません。

それでも構わないという方のみお進み下さい.

 

 

 

結論から言うと,マララさんは,ずっと周囲に弄ばれている,そう感じた.

幸か不幸か,彼女には周囲の押し付けを受け入れ,昇華させる器量があった.

今のマララさんの状況は,都合良く作り変えられた,操り人形に見える.

今からそう感じた理由を見ていく.敬称略.

 

マララは本来医者を志していた.しかし父親が教育者であり,彼はマララに医者の代わりに政治家を勧めた.政治を説き,メディアに向かって喋らせもした.まだ10歳程度の少女に.

この時点で既に,マララ本来の夢であった医者ではなく,政治に関わるよう仕向けられている.

 

マララが称賛されるきっかけは,タリバン支配下での生活をブログに綴ったことだ.

恐怖に屈せず教育の権利を世界に訴えた…などというものではない.

普通の少女としての生活を綴っているだけである.

学生なので必然的に学校の話題が多くなり,学校に行けない残念さと,学校に行かせないタリバンへの不満は表れているが,教育の権利を声高に主張する,といった意図はそこにはない.

そもそもブログを書くことになったのは,BCCから提案を受けた父親に指示されたからであり,マララが志願したものではない.にもかかわらず,今ではこれがマララの人権活動の始まりとされている.完全にずれている.

 

結局,マララは父に影響されて政治家を志すようになった.父の狙い通りである.彼は「彼女(マララ)の『翼』を切り取らなかった」と言っているが(下記リンク参照),翼を切り取らずとも飛ぶ方向を誘導したのは間違いない.

ジアウディン・ユスフザイ: 私の娘、マララ | Talk Video | TED.com

 

マララがブログの執筆者であることがメディアで公表され,マララは教育の権利を訴える活動を始めた.

しかしマララを傍で支える大人達が見当たらない.すなわち,わずか12歳の少女を祭り上げ,陣頭に立てたのだ.

マララはタリバンから脅迫を受けていたというのに,マララの名を冠する賞を創設するなど,国を挙げて持ち上げ,彼女を余計に危険な状況に置いた.

その結果,撃たれた.

 

英語版Wikipediaに書かれている限りでは,マララがタリバンに襲撃されるまでに受けた賞は2つだ.

一方で襲撃されて以降、退院までのわずか3カ月弱で得た賞は,5つにも上る.

ベッドの上で苦痛と闘っている内に,今度は世界中から持ち上げられていたということだ.

もう一度タリバンに狙わせたいのだろうか.

 

特にひどいと感じる例が,International Children's Peace Prize だ.

2011年に,ノミネートされていた.

2012年は,どうやらノミネートすらなかった.

2013年に,受賞した.

自分が撃たれ、未だ平和でないことを身を持って証明した途端に Peace Prize が与えられるなんて,滑稽ではないか.

そういう意味では,今回のノーベル平和賞も似たようなものかもしれない.

 

マララが撃たれたことで,世界のあちこちから非難と同情の声が湧きあがった.大勢がタリバンを糾弾した.しかし,それと同時に教育の権利をタリバンやその他勢力に訴えたのはどれだけ居ただろうか.

結局,大義の旗印に利用しているだけだ.

 

 

ところで,マララさんは国連でのスピーチで,無料の義務教育や女性の権利と同時に

「私たちはすべての政府に、テロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為や危害から子どもたちを守ることを求めます。」

と言っている.

タリバンテロリズムと暴力に立ち向かい,かつ子どもを守る方法はただ一つ,武力で殲滅する以外にない.

マララさんを称える政府は,この求めに応じるつもりでもあるのだろうか.

マララ・ユスフザイさんの前半生

マララさん等のノーベル平和賞受賞は数日前のことだというのに,もう彼女に関するニュースを見なくなった.

受賞後のスピーチを聞くと良く分かるが,マララさんは賞を必要としていない,ただ周囲が共に声を上げるのを望んでいる.

銃撃以来色々ともてはやされてきたが,ただ大人が少女を祭り上げるだけで終わっているように見える.今回もそうなるのだろうか.

 

などなど色々と思うことはあるのだが,その前に私含めほとんどの人は,マララさんのことをろくに知らない.

「人権活動家で,タリバンに撃たれて,ノーベル平和賞を受賞した人」くらいの知識しかないだろう.

意外なことに日本語版Wikipediaの記述もあまり詳しくない.そこでより詳しい英語版Wikipediaを適当にまとめた.銃撃されるより以前,何があったのか.

(英語力は低いので,正確性は保証しませんし,間違っていても責任は負いません.指摘されたら修正はします.)

 

父親,ジアウディンは教育活動家であり,学校のオーナーであった.幼い頃マララは医者になりたいと言っていたが,ジアウディンが代わりに政治家を勧めた.ジアウディンはマララを特別視し,弟らが寝たあと夜遅くまで政治を説いた.
2008年(11歳頃),ジアウディンはマララを報道陣の前で喋らせた.
マララは問いかけた.「どうしてタリバンは教育の権利を奪うの?」

2008年末,マスメディアのBBCウルドゥーは,タリバンが影響力を増しているのを懸念し,匿名で女学生に生活をブログに書かせることを思いついた.そこで教師のジアウディンに連絡をつけたが,危険なので誰もやりたがらなかった.
アイシャという15歳の少女が協力を申し出たが,家族が反対して頓挫した.そこでジアウディンは,実娘のマララを紹介した.

2009年1月3日,マララによる最初の投稿
タイトル“怖い”
“昨日,軍隊のヘリとタリバンが出てくる,怖い夢を見ました.私の町で戦いが始まってから,ずっとこんな夢を見ています.お母さんが朝ごはんを作ってくれて,学校に行きました.タリバンが女の子はみんな学校に行ってはいけないと命令していたので,行くのが怖かったです.
27人のうち11しか出席していませんでした.タリバンの命令のせいで減ってしまったのです.この命令が出た後,私の3人の友達は違う地域に引っ越してしまいました.
学校からの帰り道で,「お前を殺してやる」という男の人の声が聞こえました.走りながら振り返ると,まだ後をついてきていました.でも,その人は携帯電話でしゃべっていて,脅していたのは電話の向こうの人だったので,ほっとしました.”

戦闘が行われる中出席する少女は減り,遂にマララの学校は閉鎖されてしまった.改めて女子の通学を禁止し,連帯責任として男子の学校も一時閉鎖された.
Wikipediaにはまるで理由が書かれていないのだが)その後男子学校が再開されると,タリバンは制限を緩めて共学を認めた.政府軍との和議が成立すると女学校も再開された.これは2月のことである.
マララはニュース番組に
「政策の違いをもって女学生の権利を侵してはならない.侵害する者はイスラムの名を汚す」と語った.
3月12日にブログは終了した.

New York Timesの記者がマララに接触し,記録映像を取ることにした.
5月,戦闘が再開され,ジアウディは支援に向かい,マララは父親と離れて地方の親族に預けられた.
夏,マララは父親の活動に触発され,初めて医者ではなく政治家を志すようになった.
7月,政府軍がタリバンを追い払い,マララは家族と合流した.
米大使に会い,教育のための支援を訴えた.

2つのメディアから取材を受けた.8月には討論番組に出演した.
12月,ブログの執筆者であったことが公表され,以後メディアで女性の教育について訴える活動を行う.

2011年,「International Children's Peace Prize」にノミネートされる(その年は受賞しなかったが,2013年に受賞).
同年,パキスタンで「National Youth Peace Prize」が創設され,マララが受賞(これは後に「National Malala Peace Prize」と改称され,2014年現在受賞者はマララのみ.)
マララはいずれ教育を推進する政党を立ち上げたいと述べ,またマララのリクエストにより,大統領は女性のための大学を立てることを指示した.
2012年までには,貧しい少女が学校に通えるように,「マララ教育基金」を設立する計画が始まっていた.

そして2012年10月,銃撃事件が発生した.

 

まとめは以上.

この知識を前提として,あらためて別記事でマララさんについて考えてみたい.

民族差別のための印象操作の例

アジア大会 「照明を」と依頼も韓国人「担当者帰った」と拒否 (NEWS ポストセブン) - Yahoo!ニュース

 

この見出しはどこかおかしい.

もし違和感がなければ、大分毒されているかもしれない.

 

「担当者帰った」と発言した人物は,普通ならば「運営」と表現される.

国際大会なので開催国である「韓国」ないし「韓国サイド」と書かれるかもしれない.

しかしながらこの見出しでは,なぜか民族を指し示す「韓国人」になっている.

発言者が韓国人であるのは確かだろうが,文脈に合った表現ではない.

あえて偏見を植え付ける書き方をしたとでも考えなければ,辻褄が合わない.

 

韓国サイドが失態を重ねているのは事実らしいのだから,運営はボロクソに非難されてしかるべきであり、いくら貶しても構わない.

国を挙げてのイベントであるから,韓国政府を扱き下ろすのもわからなくはない.

しかしその不満を民族への攻撃に変えるのは、卑劣極まりない.

このような印象操作はこれに限ったことではなく,複数メディアで何度も見ている.

何を考えているかは知らないが,こんなろくでもないメディアが許容されている限り,ろくでもない未来しかなさそうだ.

ポジティブとネガティブ

ポジティブ思考とは,物事をとかく肯定的に捉えること.

ネガティブ思考とは,物事をとかく否定的に捉えること.

 

ネガティブばかり悪者にされるが,基準が中立からずれているという点では,方向が違うだけでポジティブも変わりない.

過ぎたるは猶及ばざるが如し.両方等しく悪者である.

理想はもちろん,色眼鏡で見ず,ありのままに評価することだ.

ありのままでいいって,どこかの雪の女王も言っている.